ZEN CLUB

豊かな暮らしを創るコミュニティ・ペーパー

Number.485

第340話 「人生という名の映画」

がいじんトーク

人生は、人間の数だけヒーロー、ヒロインの映画が同時に演じられている。カメラはその主人公の目、耳等の五感を通して主人公の脳に刻まれていく映画だ。それは、誰も主人公に代わって観ることは出来ない映像である。主人公と主人公が出くわしても、その主人公からみれば、すべての人は脇役になる。みんな自分中心のノンフィクション映画である。主人公は皆ハッピーエンドで終わる映画を期待している。

人生という名の映画は、生まれた時に白紙の台本を手にしたときから始まる。その台本は、未来のことは書かれてなく、過去の出来事を記録していくようになっている。その台本を振り返ることが出来るのは、その主人公だけで他の人は台本を主人公から聞くことは出来ても読むことはできない。だからハッピーエンドの人生を送るために成功者の主人公の中には、それまでの台本を自署伝として、脚本にして他人に読ませて、それぞれの人生の教訓にしてあげている人もいるが数は多くない。
成功者の台本を読むと、必ずとして「惜しみない努力」をしていることに気づく。
確かに、「運」というもの、生まれた「環境と時代背景」は影響していることは否定出来ないが、それだけで成功はしていない。やはり陰に隠れた努力が成功を導いている。

誰もが成功者になることがハッピーエンドの人生だと思い、生きて行く。
「挑み、続けた人だけが成功を手にすることが出来る」
どっかの製薬会社のCMがこんなことを言っていたように記憶している。

多くの人は、それが出来る環境や資金があることが羨ましいと嘆いても何も始まらない。
無いものはない。与えられた環境でどれだけ自分自身の目標や夢というものを信じて、前へ進んでいける精神力がある人間かどうか。つまり、そんな精神力を身に付けて成長して来たかが、その差になって顕れる。言葉で語ることは簡単だけど、大抵の人間はそれが出来ない。途中で諦めてしまう。なぜかと言うと諦めても生きて行く術が他にいくらでもあるからだ。いつの時代も人間の心を誘惑して、辛い「努力」をするより「楽」して生きることの方を選んでしまうのが人間という動物だ。それが凡人への道だと薄々知りながら。

 だから人間は、自分には出来ない「努力」を続けて結果を出した他人のその姿を観ると感動をしてしまい、賞賛して涙してしまうのである。心の中で自分もそこまで努力が出来たら、人生という名の映画が素晴らしかっただろうと後悔しながらも今の生活に満足しようとしている。偉人がいう1%の才能(センス)は、誰もが持っているもの。ただ99%の努力を怠っているだけに気づいていない。気づこうとしない不思議な生き物である。

そして、多くの人生の映画の結末は、凡人で終る台本になってしまう。

不動堂