ZEN CLUB

豊かな暮らしを創るコミュニティ・ペーパー

Number.486

私であることの選択

Relay Essay 語りの部屋

人生は選択の連続である。

-ウィリアム・シェイクスピア -
(イギリスの劇作家・詩人)

妻の病が偶然とったCTから判明したのは一年前だった。病名は脳腫瘍。症状は全く出ていなかった。

それからは病気について調べてみたものの、周囲にもこの病を克服した人はおらず、妻共々どうしていいのかわからなかったように思う。何もせずに半年が過ぎ、医者からおいおい手術をしないといけない、という話が出て初めて、執刀してもらう医者を探し始めた。リスクが高い難しい手術のようで、無症状ということもあって、積極的に手術は勧められなかった。三か月間、日本各地の病院のセカンドオピニオンを受け、執刀医は札幌の先生に決めた。いくつ病院を廻っても、いくら手術法を聞いても、どの方法が一番良いのか判断できる専門的な知識は私たちにはない、ということが理解できただけだった。医者たちはこちらが疑問を提示しない限り、一方向からしか話をしないからだ。疑問を持つだけの知識などないのが普通であろう。結局、話を聞いた感じで人柄を判断し、それで決めたようなものだった。札幌の先生は大学病院の勤務医ではなく、個人クリニックの開業医で、人間的に信頼できそうな人だった。一度の手術で全部摘出せず、身体に負担の少ない方法をとることにした。

手術の予約が更に三か月後となったので、妻はひとりで予定を立てて、準備を進めているようだった。家の大掃除、受け持っている仕事の引継ぎ、入院に必要なものの購入、筋トレ、ジョギングなどの体力作りをやっていた。妻は多くを話さなかったが、手術後は今と同じ生活ができるとは思っていないようだった。

私は仕事があるので、手術の数日前、検査のための入院時と、手術の前日から術後までの四日間病院へ行った。妻が話せるようになったのは術後四日目だった。更に起き上がって歩けるようになったのを見たのは十日目のことだった。それからの回復は早く、約一ヶ月で退院した。恐れていた後遺症も、大したものではなく、今では普通の生活を送っている。

この一年のことは、私たちの間では徐々に過去の大変だったことに移行しつつある。

妻は手術前も落ち着いていたので、「怖くなかったか」と聞いた。妻は「恐れていたのは手術そのものや術後の痛みではなくて、術後、私が私でいられなくなることだった」と答えた。
 「私、手術前に私が私でいるのはどういうことか考えたの。それは記憶じゃないかって思った。」
 私も、妻が動けなくなったり、記憶がなくなってしまう可能性があることは覚悟していた。妻は自分の病のことを受け止めていたので、私も受け止めてはいたが、自分たちにこんなことが降りかかるなど、全く予想していなかった。しかし、今回のことで人生に対する理解が変わった。

周囲の人たちは「あなたたちはラッキーだった」という。そうだと思う。しかし、幸運は選択の結果だと思うのだ。妻が病気になってしまったのは、何か間違った選択をし続けた結果なのかもしれない。しかし、CT検査を受けたのも、早いうちに手術を受けることを決め、執刀医を決め、手術法を決め、無症状にも関わらず手術を受けたのも妻の選択である。この選択がのちになってどう出るかはわからないが、現状ではベストではなかったかと思っている。

人生は選択の連続である。私はまだ人生半ばだと思っているが、これからも沢山の選択をしていかなければならないだろう。しかし決して他人の手にゆだねることはせず、自分で判断し、決断して人生を進んでいこうと思っている。これが今回のことで強く思ったことである。

E.M