ZEN CLUB

豊かな暮らしを創るコミュニティ・ペーパー

Number.487

第342話 「まだ、出会ってない人がいるから」

がいじんトーク

出会わなければならない人がいる。その人に会うまで生きなければならない。

自分自身で決められない事は、生んでくれる両親を選ぶことはできない。また生まれる時代も自分自身ではどうしようもない。自分で決められないもので、もしかしたら、その時点で人生の運命のほとんどが決まるのかもしれない。そのあとは努力で多少は変わっても落ち着くところに落ち着いてしまうのが人の一生なのかもしれない。誰もが他人に憧れる。自分自身にないものに魅力を感じてしまう。だからといって皆が皆、その憧れる他人のようになるために努力をするかといえばしないのが現実。努力しても途中で挫折。そんなもの。「人生とは挫折と妥協」の上に成り立っている。

ここまでは人生に不満な考えの人の屁理屈に過ぎない。もうひとつ自分自身で決められないものがある。それは「出会い」である。新たなる出会いは、時間移動出来ない人間にとっては未知数なもの。はじめの二つとは違い、これこそが運命を変えていくキーになる、自分自身ではどうにもならないものだ。そのことに気づいている人は幸せを手にしている。

「人」と「人」が出会うことは1+1ではない。一つの薬品が必ずしもAにもBにも同じ化学反応することはない。Aには無反応かもしれないがBにはノーベル賞的な反応をするかもしれない。「出会い」には、どんな化学反応を起こすかわからない未知数なロマンがある。

60歳近くまで生きれば、大抵の人は(生涯、出会う人に)出会えているだろう。

「まだ、出会ってない人がいる」なんて話をしたりすると誰もが「もう出会っている。ここから出会う人は、出会わなくてもいいおまけの人じゃないか」なんて言い返される。

出会うとは、ただ単に言葉を交わしたり、すれ違ったりする人じゃない。互いの言動に影響を受けて成長する?育つ人との出会いである。それは30~40代のエネルギーがあふれ出ていた時に影響した人ばかりと思い込みたいが、果たしてそうだろうか。確かに、間違いなくその時には、自ら発するエネルギーは良い影響もあっただろうし、悪い影響もあっただろう。それは、仕事を通してであったり、酒を飲み交わしての会話であったり。

私の場合、影響を受けた人は、妻、子供はもちろん私に関わりあった会社の後輩たちは嫌でも受けただろう。それが、肥やしになったか、無用の長物であったかは別として関わってしまったことに後悔しても始まらない。それを自分の人生にどう生かすかは皆それぞれだ。出会うことは運命。それは意図的に避けることは出来ない。1億分の一の確率だろうが、80億分の一の確率だろうが出会うべきして出会っている。その人と関わりを持たないと次の人生の展開はないと正しく「人生の台本」に書かれているはずだ。

出会わないといけない人がいる限り、それまでは死ぬに死ねない。 

不動堂